祖母とお別れをしてきました
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@nichiyohinten で instagram 始めました。
よろしくお願いします。
わたしは、物心ついた頃から小学校へ上がるくらいまでの幼少期、自分の魂がこの体に宿っていることに違和感がありました。
今、大人の言葉でこういう表現にしましたが、もっと感覚的な気持ちと言いましょうか、、、
「なんで?なんでわたしはこの体の中にいるの?」
「どうしてそっちの体には行けないの?」
幼い頃にそんなことを考えていた時の空気やその時見ていた物を、今でもはっきりと覚えています。
そしてそれは大抵、夜寝る前にふと湧いてきました。
子ども心に誰かに聞いてもどうしようもないと諦めていたのか、実際に誰かに質問したことはありません。
いつしか心の成長と共にその様なことは感じなくなりましたが、そんなことと共通する感覚なのでしょうか、他人とはどこか死生観が違うような気がしています。
前置きが長くなりましたが、
そう、先日、祖母が亡くなりました。
94歳でした。
おばあちゃん、たくさん編み物を教えてくれてありがとう。
自分が料理が好きじゃないからって、わたしに台所に立つように促してくれてありがとう。
生活の知恵を継承してくれてありがとう。
そして、長い間お疲れ様でした。
おばあちゃん、
今、何が見えている?
そちらは温かい?
風を感じる?
どんな世界にいるの?
わたし、とっても興味があるの。
おばあちゃん、しばらくのお別れだけど、またいつかよろしくね。
数年前までは「形ある物しか信じません!」って強く言ってたわたしが、何を言っているんだろう、、、。
そして、どうしてこの気持ちをブログに書き留めているんだろう、、、。
わたしは今、この体に宿ってこの地に住まわせてもらっています。
たまたま人間だったっていうだけ。
自然も動物も皆同じように生きていて、ただ、そこにいるだけです。
生命の営みを繰り返しているだけです。
自然に逆らわず、上手に共生する術を知っています。
人間は傲慢で、共に生きるのではなく、全てを支配しようとします。
そんな人間の姿が恥ずかしいと思うようになりました。
もっと謙虚に、もっと自然に添い、もっと無欲に、立つ鳥跡を濁さない生き方ができたらなぁ。
祖母が70歳から始めた水墨画を2枚もらってきました。
何歳になってもいつも楽しみを見つけて挑戦していた祖母。
わたしも、おばあちゃんになるのが楽しみです。
で、今日のブログは一体何を言いたかったのでしょう、、、。
ま、いっか。